てきとーになんか書きます

過去の記事はね,汚点.

YAPC::Asia Tokyo 2015 2日目に参加してきた.

はじめに

2日目や! 祭りや! 祭りやで!
改めて記載するがYAPC::Asia自体は昨年に続き2回目の参加である.

基本的に敬称は略す方針である.

書いてる途中に気付いたが,感想というよりはまとめ・備忘録に近くなってしまったのでここで記しておく.

聞いたトーク

ISUCONの勝ち方

素晴らしい講演だった.例えるなら知見の集合体.聞くこと聞くことが新しい知識だった.
……これ資料アップされ(て)るのかな,もう1回ゆっくり学びたいところ.驚愕の連続だったし,ISUCONに限らず,物事に対しての心構えなども再確認できた.

Perl 5.22 and You

Perl 5.22における変更点(削除・追加)と一部Perl 5.24についての話があった.
今年度に入ってから忙しく,僕はPerl 5.22を追っていなかったのでこれは非常に助かった.妥当な変更に感じた.順当,良かった.正規表現周りが大分クレイジーだったが,Perlだし,いやむしろPerlだから良いよなあと感じた.Hex floatも最高だった.
Perl 5.22がリリースされました - 数学関連の機能強化、メソッドのパフォーマンスの改善、正規表現の改善 - サンプルコードによるPerl入門あたりが日本語で分かりやすいまとめになっている.詳しくはperldeltaを参照のこと.
Perlは思想として後方互換性を大切にしている.diamond演算子(<>)はパイプとか通すとやばいことになるのだが,diamond演算子を修正するのではなく,double diamond演算子(<<>>)を導入することによって後方互換性を保ちつつバグフィクスを達成した.

Perl 5.24では更にバグフィクスや機能の追加がある.特に興味深かったのはシフト演算子(<<,>>)の修正だ.いや,正確に言えばPerl 5.24以前におけるシフト演算子の挙動だ.

2 <<  2 #=> 8
2 << -1 #=> 0
2 << -2 #=> 9223372036854775808 = 2^63

やばい.ちなみにPerl 5.19.2で実行した.これに関して講演者であるRicardo Signesは

と述べている.Perl 5.24ではこれを修正しa << -b == a >> bに統一された.恐らくCのシフト演算子の未定義領域……?

Perl 5.24でもう1つ興味深いのはUnicode 8.0への対応である.PerlUnicodeへの対応が早い.perl 5.22でUnicode 7.0に対応した.最高だ.僕はUnicodeが好きだ.当然それへ素早く対応するPerlも大好きだ(いやPerlはそう言うの関係なしに好きなのだけれど).ついでに過去の記事を載せておこう.

spark6251.hatenablog.com

spark6251.hatenablog.com

ランチセッションA

株式会社Fusic様がスポンサーのランチセッション.美味しい弁当だった.

Fusicは様々なサービスを開発する会社である.講演では自社のサービスで「どういうものが生き残り」,「どういうものが消え去った」かを述べていた.自(社)サービスの開発の強みは当然ながら「自身たちに最適化されること」である.要するに,必要な機能が丁度良く,不要な機能は付加する必要がない.
生き残るサービスは(無理矢理にでも)仕事上使うようにするなど色々言っていた.これはサービスに限らないことだと思う.生きていく上での取捨選択を考える際に重要かもしれない.

Adventures in Refactoring

特にこの部分は完全に備忘録だ.

GitHubの中の人によるリファクタリングに関する講演.最高のものの1つだった.この講演はもしかしたら当たり前のことが多かったかもしれないが,それを,影響力のある人間が声を大に語ることの重要さよ.

リファクタリング(に限らず物事には)良し悪しがある.リファクタリングは「振る舞いが同じであること」と「in/outputが同じであること」が条件である.そのため,リファクタリングの根幹を話すならばサンプルコードの言語は何でも良い.この講演はリファクタリングテクニックマニュアルではない.
重要ことの1つは「一貫性」,「DRY」,「抽象化」を目的にリファクタリングをすることはいけないということである.これはリファクタリングの結果これらが満たされることを禁止する意味ではない.目的にしてはいけないというだけである.これらを目的にするとリファクタリングの成否を判断できなくなる.
では判断基準は何かといえば行数が良い.例えば10行コードを削減すれば,10行分エラーが起こり得る箇所を潰したことになる.講演者であるBen Lavenderはご褒美の包丁!(:hocho: on GitHub).テストカバレッジが上がることも判断基準にして良い.もう1つ,Benの造語でTest Expressability(テストの表現性)がある.これはつまり,テストが何をやっているかがどれだけ分かりやすいかの指標だ.
もう1つ重要なことはデベロッパー(自身)の幸福度である.自分が幸福かどうかはコードを見れば分かる.幸せになろう.
一番需要なことは将来の作業に対しての自信を増やすこと.過去の負債を返済しよう.
グループ開発においてはリファクタリングは重要な教育の一環となる.大切にしたい.
また大きなリファクタリングはリスクを伴う.小分けにして適宜テストしていくべきだ.重要なのはテストありきで考えないこと.そうするとコードがテストに引っ張られてしまう.良いテストは良いコードの結果であるべき.

スタイルガイド(コーディング規約)は大切である.ここで重要なのは「スタイルガイドが正しいことが大切なのではなく,スタイルガイドが存在することが大切」なのである.$ go fmtは……いや,Goはサイコーだ.

リファクタリングには罠が存在する.特に大きいのは既存のバグだ.もしリファクタリングをしている最中にバグを発見してもfixしてはいけない.もし挙動が変わったらどうしようか? リファクタリングバグフィクス,悪いのはどっちだ.但しこれは質疑応答の際に補足されていたが,場合によってはバグフィクスを優先する.大きいバグの場合はリファクタリングの前にfixしよう.但し同時に行ってはいけない.気を付けよう.

この講演で重要なのは「教科書的内容を教科書的に説明した」ことにある.模範解答集だ.絶対に認識しておきたいことばかりだった.

Parallelism, Concurrency, and Asynchrony in Perl 6

Perl 6におけるParallelism(並列),Concurrency(非同期),Asynchrony(並行)(全部違う! 注意!)についての講演.聴講者が少なかったのが残念.やはりPerl 6だったからなのかそうなのか!
残念ながら僕はこの講演をあまり理解できなかった.半分ほどだろうか.これに関しては詳しくはtogetterを参照されたい.

togetter.com

ただひとつ言えることはPerl 6は画期的な進化を遂げるということ.
特に感動したのは.raceでいい感じにパイプラインを構築してくれること(僕の認識が間違っていなければ,だ).これは素晴らしい.オプションを設定しなければPerlが良しなにしてくれる.もちろんN個のデータをM個のworkerで処理すると書くことはできる.所感ではPerl 6の並列処理はサイコーだ.Perl 6自身の早さも肝要であるが.ちなみにこの講演中僕の後ろにLarryがいたのでLarryに「Perl 6は早くなるのか」を尋ねた.結果は「Yes」だった.

ちなみにPerl 6にはactorが入るようだ.期待し続けよう.僕の期待値はこの講演中上がりっぱなしだった.

Profiling & Optimizing in Go

Goは良い言語だ.好きな言語は何かと問われたならばPerlC++と答えるが,良い言語は何かと問われたならば僕はGo(他Python等)と答える.

悪魔合体が成されてしまった.

Goの内部データ構造の話を懇切丁寧に説明してくれた.Goに積極的には触れない僕でもかなり理解出来る内容だった.正直言うとこれで理解できない人は理解できないのでは? というほどの分かりやすさだった.英語もかなりゆっくりだったし聞き取りやすかった.

Lightning Talks Day 2

全体的に面白い内容ばかりだった.

www.slideshare.net

一番実学的だったのはこれだろうか.だが講演者の勢いと罠の内容(即死級のものもあった)のせいで大爆笑だった.いや笑い事ではないのだが(まあ僕もずっと笑っていた).テンポって大事だなあ.

誰かの言っていたセリフだと述べていた記憶がある.僕はこれは尤もだと思う.名は体を表す.やることを決めさせれば実装は自然に出来上がるはずだ.

最後の方で発表内容がインターネット→電話→モールスと退化していったのは面白かった.

ところで今年の会場のネットワークCONBU様が担当してくださった.LTで設営と撤収のデモ(ライブ設営!)を行っていたのだがその早さたるや驚くばかりであった.

クロージング

なんとYAPC::Asia Tokyo 2015は2130人の来場者を数えたらしい.凄まじい数字だ.スタッフの方々には感謝しか無い.

And more...?

builderscon.io

どうやら牧さんが色々と画策しているらしい.書いている通り全てが未定だし,会場でもそう発言していた.YAPC::Asia TokyoはYAPCの名を冠しながら事実上の技術カンファレンスであった(去年に至ってはベストトーク賞にPerlの文字もなかった).もしかしたら思うところがあったのかもしれない.
ちなみにYAPC::Asiaはfreeらしいのでいつでもどこでもだれでも,である.

ところでモダンPerl入門 増補改訂版(仮)はどうなったんでしょう,牧さん(小声).

おわりに

今年はPerlの講演を良く聞いたなあと実感する.PerlPerl 5.24になっても,Perl 6になってもPerlとしての面白さが損なわれることはないと思う.
来年Beaconが開催されたとしたら,やはり,行きたいなあと思う.YAPCじゃないからPerl主体ではないけれど,やっぱり楽しい技術カンファレンスの予感がある.

最後に改めてスタッフの方々への感謝を.

YAPC::Asia Tokyo 2015 1日目に参加してきた

はじめに

1日目,睡眠不足のため眠かったのがつらかった.
改めて記載するがYAPC::Asia自体は昨年に続き2回目の参加である.

会場

今年もありましたDeNA水.

Permission Deniedな扉.

聞いたトーク

メリークリスマス!

Larry Wallの講演.
なんか改めて聞いているとLarryはトールキンがすごい好きなのだなという感じ.トールキンは一般常識.
僕は指輪物語ホビット程度は読破しているので問題なかったのだけれど,Larryの例えはトールキンをふんだんに用いていたので,分からない人にとってはちょっと楽しめなかったの……かも? とは思うけど,まあ,一般常識だろうしいいだろう,という感じ.
Larryが途中で,言語の構築と世界の構築の話をしていた.トールキンの物語は正に世界を構築する.言語の構築にも通ずるところはあるのだろう.トールキンを読んだことがない人間は是非に読むべきだ.

ところでLarryはaliasを色々設定していた.perlはp,git checkoutはgco,特にperlをpにするのは流行ってほしい.

Larryは講演で,トールキン言語学者であり,それを受けて自分もまた言語をという流れがあったことを話していた.Larryはトールキンを愛している.Perl5をホビットに,Perl6を指輪物語に例えるほどにもだ.もしもトールキン指輪物語を執筆していなければ,Perlはこの世に存在しなかったのかもしれない.奇妙な因果関係だ.

講演の最後の方では灰色港の話を交えてきた.
指輪物語のネタバレになるため詳しい言及は避けるが,指輪物語の最後のフロド達に,Larryは自身の物語の最後を重ねたように思えた.講演は感動的であった.このくだりはとても感動的であったので,Perlが好きであって,またトールキンに詳しくない諸兄は是非とも指輪物語を読破してからこの講演の動画を見てほしい(Youtubeに投稿されるだろう).

また講演の途中でLarryは「2015年のクリスマスにPerl 6をリリースする(もちろんできない可能性もある)」ことを宣言した.
クリスマスにリリースすると言っているが,いつのクリスマスかは言っていない(リリースされない)……というのがいつもの流れであった.しかし今回Larryは初めて年度について言及した.これはもしかするとあるのかもしれない.

DeepLearning の前に知っておくことがある! 再帰型のニューラルネットワークや自己組織化マップについて語ろう

大学の半期でやる講義を30分で話そう,という試みを感じた.
残念ながら時間が足りなかった(たぶんこの分野にそれなりに詳しい諸兄は発表途中で間に合わないことを予感したと思う).1時間でももしかしたら厳しかったかもしれない.

どうしてもPerlでドローンを飛ばしたい人のためのハードウェアハック概論

開幕「まあ僕今ならGo使って書きますねwww」から始まった.ドローンの(ハードウェアの)ハックについて語っていてなかなかに面白かった.飛行原理なども交え興味深い内容であった.

Yet Another Perl Cooking

聞きたかったのだけれど聞き逃してしまった講演.とてもつらい.

Lightning Talks Day 1

やっぱりPHPに関する発表て最高やな!

懇親会

懇親会会場はDeNA様及びエン・ジャパン様の提供だった.多謝.本社に向かってお辞儀をしよう.
恐らく無限ビールだった.左手にグラス,右手に瓶ビールで徘徊して色々な人と喋っていたら皆々様に学生に見えないなどと言われた.悲しい.

Larryに一緒に写真撮って頂いた! とても嬉しい!

おわりに

そして2日目へ.早く寝ないといけない.
楽しい1日目だった.

YAPC::Asia Tokyo 2015前夜祭に参加してきた.

はじめに

ざっとhashtag眺めてるけどブログ投稿してる人少なくね? って思ったし投稿するしかない.

YAPC::Asia Tokyo 2015

世界最大のYAPCが最後の大花火をぶちあげに今年ももどってきました!YAPCはYet Another Perl Conferenceの略で、Perlに関するカンファレンス・・・いや、お祭りです!Perlだけに限らず、様々な分野のギーク達が集まり技術の話と楽しさに満ちた三日間のお祭りが開かれます。Perlに関連する事に興味がなくとも心配する必要は全くありません、YAPC::Asia Tokyo 2015は技術者であれば誰でも楽しめるカンファレンスです。

以上YAPC::Asia Tokyo 2015 What is YAPC? より引用.
要するにPerlのカンファレンスという名を名乗ったでかいお祭り(YAPCを知らない人でも,その名称からyaccを即座に思い出した人は楽しめるはず).
YAPC::Asia Tokyoは今年で終わりで来年以降はない……とのことなのだけれど,正直来年から何か別の代替が現れる,ような,気はする.

前夜祭

YAPC::Asia Tokyo 2014の前夜祭がLT大会だったので本年度もそうかと思っていたが普通の発表だった.
ちなみに僕が一番新しく得られた知識はPHP6.x,PHP7の話で,発表を聞いた所感としては

PHPすごい! がんばってる! Perl書こう!

でした.

会場では缶ビール+ソフトドリンクが振る舞われてたんですが……無事全部なくなってました,すごい.
缶ビールの量は350ml缶が200-300本程度はあった……ような.
前夜祭は2部屋で行われていたので,恐らく合計で400-600本でしょうか.

おわりに

明日は1日目だし,初っ端Larry Wallの発表なので早く寝ないといけないし雑な記事になってしまった.

実質的に両親が離婚した

はじめに

まさかこの歳で実質的にとは言え両親が離婚するとは思っていなかったし,またそれに際して色々と思うことがあったのでまとめておきたかった(正直に言うと今現在は「離婚した」と聞いてはいないだけなので離婚したかしてないかが定かで無い).大体は自身の半生を振り返ることが本記事の目的である.
ところで「おわりに」以降を読めばそれ以外の文章は特には不要ではある.肉付け.小説と同じ.

またこの記事の2015/05/31に関する事項までは2015/05/31に執筆している.
それ以降に関しては大体当日に記している.
2015年8月16日現在,両親は離婚はしていないが別居状態であり完全に冷め切った関係にある.
所感としては実質離婚状態と思うところがあり,以下では現状を示す言葉として離婚を用いる.

重要な出来事を赤字で示した.

2015年現在の家庭状況

両親は共に55歳を越えていて,姉と兄は社会人で僕は大学3年生.
僕以外の家族は兵庫で暮らしていて僕だけが(2015/03/22から)岡山で一人暮らし.
大体こういう状況だった.

離婚を察した時期

勿論離婚というものはいきなりするものではない.
徐々に徐々に不仲になっていき……というのが大体のパターンだと思う.

「ああ,これは離婚するな」と明確に思ったのは2015/05/20の父親からの電話だ.明確に思ったと書いたが,実際は「別れようと思う」とはっきり言われたのでちょっと違うかもしれないが.
いずれにせよ以前までのことも含めて思い出話程度に書き留めていきたい.

保育園児時代

この時期のことはあまり覚えてないが,幾らか夫婦喧嘩があったのは覚えている.
この頃の父は怒った時の程度が激しく,喧嘩の際にはよく母が殴られたり掴みかかられていたのを記憶している.
以降も僕や姉,兄の体が成熟するまでは「やめて! やめて!」と兄弟3人で泣きながら父を止めていた. 今思えばこの時期から火種は撒かれていたのかもしれない.

喧嘩の原因は……よく覚えていないが父親は元より沸点が低めだったのでそのせいはあったと思う.
沸点が低く言い合いの喧嘩(父の怒鳴り声は凄まじかった)→母の発言で更に悪化して殴る……そういうのが多かった.
父の沸点がもうちょっと高かったら喧嘩にはなってなかっただろう,というのがこの時期(~中学入学ぐらい)は多かったと思う.

小学生時代

低学年

この時期には印象的な夫婦喧嘩があった.
この時期の僕は20時や21時とかに就寝していたが,その日,23時か0時頃に父親の怒鳴り声で叩き起こされた.
よくある夫婦喧嘩と思い,またいつも通り必死で止めていたのだが,いつも以上に程度が激しく,一頻りの喧嘩の後,母親が泣きながら僕をパジャマから普段着に着替えさせ「出て行こう,出て行こう」と何度も言っていたのを覚えている.
この時僕は本気で離婚を覚悟したし,当時一番仲の良かった友人に「両親が離婚するかも……」とまで言った.まあ,この時は離婚しなかったのだが.
唯,この出来事は僕に相当な傷を負わせたと思う.僕には結婚願望が全くと言って良いほど無いのだが,多分この喧嘩が根底にあるんじゃないかと思う(元より夫婦喧嘩が多かったのではっきりとは分からないが).

中学年

低学年の時ほど酷い喧嘩はなかったと思うが,父の性格はあまり変わっていなかった.
こんなことがあった.父に「スポーツ新聞を買ってこい」と言われ,僕は違う新聞を買ってきてしまった.それだけで父は僕を張り倒し,何度も蹴ってきた.この時の僕には父に抵抗できる力がなかった.

高学年

この頃から,激情に駆られる父を止めるのは僕と兄だけとなり,僕はあまり泣かなくなっていたと思う.
この時期も父の性格に大した変化はなかった.
朝方に父親がキレて,姉に向かって本(ジャンプだったと思う)を何冊も(確か顔面に)投げつけたり,皿も投げていた.勿論皿は割れた.

中学生時代

1年生の頃はそうでもなかったが,ソフトテニス部に入ったこともあって2年生には結構な筋力が僕についていた.
また,この時期の僕は精神年齢が(実年齢+3~5)程度はあったと思う.そのお陰か夫婦喧嘩の際も割りと落ち着いて止めることができていたと思う.多分これは筋力のお陰でもあったと思う.つまり力こそパワー.

内容がまとまってないが,1つ記すべきことは「この時期から父の性格が軟化したこと」だろう.
だが同時に,母の性格が悪化したのもこの時期であったと思う.
父は今までの行動を省みて穏やかになったが,母は今までの父との喧嘩(と言っても一方的に殴られるとかが多かったが)によって嫌悪感等々を募らせ,そしてそれが父との会話等に影響していっていた.

高専時代

この時期はそれなりに落ち着いていた.喧嘩がなかったという意味で.
ただこの時期から喧嘩の原因が「母がぐちぐちと余計なことまで言ったせい」にシフトしていく.
僕や姉,兄が「それ以上何も言うな!」と何度も言った.しかしそれでも口が止まらず,そして親父がキレる,そういうパターンだった.

高専3年生

この時期から悪化は加速する.
兄が謎の増長を始めるのだ.
父親が座る場所に座る,母親に暴言を吐きまくる……枚挙に暇がない.これが原因で父親が兄に向かって激怒し,家庭内の雰囲気が悪くなる,ということが多かった.

高専4年生

2013/12頃に犬を飼いだした
実際はなんか譲り受けた感じらしいのだが,まあそこはどうでも良い.
僕は断固飼うことに反対していたのだが,母と姉と兄が勝手に話を進めて,父に至っては飼う直前ぐらいに話をされたらしく,二つ返事で了承したそうだ.
今思えばこれが最大の過ちであったと思う.当時からある程度予見していたので僕は断固反対していたが……(単純に犬を飼うことなぞ面倒だという気持ちも勿論強かった).

高専5年生

朝,母が父の弁当を作らなくなる
何が最悪かって言うと,母は5:00頃に起床し,犬の散歩に行き,二度寝をし,そして7:00頃に起きるのだ.父は大体6:30頃には家を出る.そのため当然弁当を作られない.

更にこの時期から仕事から帰宅した母親がすぐ寝ることが多く(大体19-23時とか),父の夕食を僕が作る,ということが何度もあった.というか2日に1回とかはそうだった.

2014/12/09(?)-2015/02/20(?)は僕は卒研に掛かりっきりで帰るのが22:30とかになっていたが,まあ,その間の会話もお察しだったのだと思う.僕が帰宅した時母親は寝てる,父親はご飯を食べてない,という状況が何度もあった(更に補足すると,母が寝ているため父が自分で作る,ということもあった).

自分で言うのも何であるが,割りと僕が保たせていた感は結構あった.今になって思えば,だが.

大学時代

2015/03/22から岡山で一人暮らしを始めた.
2015/05/01-03と実家に帰ったが,僕は殆ど自室でゆっくりしていたのでリビングでの父や母の状況と言うのは把握していなかった.

2015/05/20:父親からの電話

学食で夕食を摂っていたところ電話が掛かってきたので10分後に掛け直してもらうよう頼んだ.
10分後,学食前ぐらいのベンチと机があってゆったり出来るスペースで電話を受け取った.約50分に渡る長い通話だった.その時の電話の最初の部分を以下に記そう.

僕「はい,どしたん」
父「んー,いや,まあ,なあ……なあ……やっぱりおかんと別れると思うねん」(「別れようと」ではなかった)
僕「………………」
父「聞こえたか?」
僕「えっ,あっ,ああ,えーと,ああ,うん,聞こえた」

大体こんな感じだった.
僕の沈黙は,長かった.自分でも驚くほどに全然声が出なかった.まあ,実際は10秒もいかないぐらいだと思うのだけれど.
電話の最初の方では,僕は殆ど父の言葉に応答するだけだった.「うん」とか「あー……」とか.言葉を紡ぐと泣くことが見えていたから.まあ,この返事だけでも半分ぐらいは泣いていたのだけれど.
自分でも泣くことはないと思っていたのでこれは意外だった.しかし現実に涙は出てしまったのだ.
この時の僕の感情は今でも言葉にしがたい.悲しみとかはそう多くはなかったと思う.実際,殆どが驚きだったと感じている,8割ぐらいは驚きと,残り2割に寂しさとか悲しみがいくらか混じっていたのだとは思う.まあ,10分もすれば落ち着いてきだしたので素面同様に喋れていたと思う.たぶん.

父親からの電話を要約すると,こうだ.
兄の弁当のみを作る母父の夕食の準備をしない母犬には感ける母と姉,兄父の座椅子で兄が朝食を摂り,机が汚いせいで台所でご飯を食べる父……などというのが2015/05中頃の家庭状況だった.
どうやら僕が一人暮らしを始めてから家庭状況は凄まじく変化しているようだった.

さすがにこのような状況とまでは思っていなかったので僕もなかなかに衝撃を受けたし,だからこそ「息子が言う台詞じゃないと思うけど,別れた方がいいと思うわと父に言った.大体原文ママ

あと一つ.「どこで間違ったか」を聞いた.
どこで間違ったかというと難しいものだがひとつ聞いたこととして,「元々母と結婚するつもりはなかったが,結婚の原因として母が長女を身籠ったことにあった」と.それで捨てるのはさすがにないと思ったらしく,結婚したそうである.
僕は大してダメージを受けなかったが,結局離婚の原因は妊娠させたことにあり,となると自分も元々生まれるべきでなかったのでは? などと疑問に抱く可能性がある.というより小学生ぐらいだったら思っていたかもしれない.多分相当ダメージを負ったと思う.これに関しては今ぐらいの年齢でよかった.

2015/05/20の父からの電話の内容は大体このような内容だった.

2015/05/25 母からのメール

突然母から「生活出来てる?」や「勉強大丈夫?」と言った身の上を心配するメールが飛んできた.
離婚の話するのかな? と思ったので「何かあった?」と聞くも,母はその話を切り出さなかった.
2015/05/31の父からの電話で発覚するのであるが,2015/05/20の父からの電話以降,父は一切挨拶もせず(おはようとか行ってきますとか),家族と一切会話をしなかったそうだ
恐らく母は離婚を察したのだと思う.たぶん.

2015/05/31 父からの電話・姉からのメール

離婚が確定するだろうという報告を受けた.まあ,実質確定か.
バイクの名義人変更とか後処理諸々をしていると言っていたし,3月以降に大きな金に関する領収書等(引っ越しの初期費用とか授業料とか)があればコピーしてとかも言われた.
まあ,確定ということだろう.

またこの日姉からメールが飛んできた.
「父から聞いたやろ? へこんでないかなって思って」という文面だったが,よくもまあそんなメールを寄越せるなと思ったものである.

2015/06/01 離婚について考える

離婚するとなれば色々面倒がありそうだ.親権だの苗字だの……残念ながら僕には両親が離婚した経験というかないもので,その辺りの知識が一切ない.

色々調べていたが,今父方の姓だとして,母が親権を持ってもこの苗字は変わらないそうだ(届け出を出さない限り)(大体そういう感じ).
まあ親権は……養育費とかどうだとかありそうなのでその辺りがどうなるかが分からない.
しかし調べてみれば親権は未成年者に掛かるものだとか,養育費は基本成人するまでだとか……結局面倒そうだ.ぐぐってもいまいち.
まあ生兵法は怪我の元とも言うし,曖昧な知識をつけるのもやめておいた方が良いのかもしれない.餅は餅屋.

2015/06/14,2015/06/21

2015/06/14

父親から「父さんだけど、元気で暮らしているかな。」なる意味深なタイトルのメールが届くが荷物を送りたかっただけらしい.
しかしよくよく考えればこれは身辺整理だ.

2015/06/21

父に荷物が届いたことを伝えると電話がかかってきた.
仕事が忙しくてぐだぐだしているがやはり別れる方向だそうだ.
とりあえず別居する,らしい.多分離婚するのだろう.

2015/07/06

父親から電話が来た.
曰く離婚届は貰ったということと,土曜日(2015/07/04)から別居を始めた,とのことである.
ここまで来ると「ああもう確定的だな」という感情程度しかなく,つまりは,悲しいとかそういうのはなくて,事実を確認したという感覚のみがある感じ.

おわりに

以降は特に何も話を聞いていない.もしかしたら離婚しているのかもしれない.してない可能性もあるが.事実として父親を除いた家族と,父親は別居状態にあることだけ記しておく.
2015/08/14に実家に帰ってきたが当然の如く父親はおらず,まあ,やはりという感じではある.

幼少期に両親のいざこざを見て育った子は,結婚願望が薄くなるのだろうと感じる.僕は結婚願望が非常に薄いが,恐らくそういう事情もあるのではないかと思う.ただもし結婚したならば子供の前では汚い部分は見せようと思った次第である.

一番重要なこと

父親からは結婚の経緯だとか何だとかを色々聞いていた.
父親は本来別の人を狙って(という程でもなかもしれないが)いたらしいのだが,色々な経緯を経て母親と結婚することになった.
その原因は長女を授かったからであり,つまり,きちんとゴムを付けてセックスをしていれば,今の母ではなく,別の人と結婚していたかもしれない.
それを踏まえた上で,セックスは絶対にゴムを付けてするということを教訓にして生きていきたい.

Facebookにおける性

はじめに

昨今のソーシャルにおいて,性別は「男」と「女」のみならずそれ以外のものも認める傾向にある.
勿論全部がそうではないが,世論全体としてもある程度そのようなものが認知されつつあるのが現状である.
そこで今回はSNSの一つとしてFacebookを取り上げ,そこにおける性について議論したい.

sexとgender

日本語の場合は性別と訳されるが,英語では日本語における「性別」の欄に当たるものはsexよりもgenderが選ばれるのが専らの傾向である.
辞書を引くと

  • sex
    • the state of being male or female
  • gender
    • the fact of being male or female, especially when considered with reference to social and cultural differences, not differences in biology

であり*1,つまりはsexは生物学的な「男」と「女」の区別であり,genderは「加えて社会的・文化的な性」などの意味合いも含むものである.

Facebookにおける自身のgenderの選択

最近は性別の解答欄として「男」「女」のみならず「その他」や「解答しない」などを含めるものが多くなってきた.
抑性別の解答が不要なものも多く,これは妥当な選択であろう.

ところでFacebookで自身のgenderの選択肢はどうなっているか見てみよう.

f:id:spark6251:20150809205008p:plain

驚きであるが,Facebookにおいてはgenderの選択がMaleもしくはFemaleの二択しかない.
Facebookは2015年6月にアイコンを虹色に加工する機能をリリースした(最後に説明を譲る).*2
そのようなFacebookにおいてgenderの選択肢が未だに二択なことには大変驚いた次第である.

Facebookにおける性的指向

性的指向は要するに「異性愛者」とか「同性愛者」,「両性愛者」などの区別である.
Facebookはこれに関しても

f:id:spark6251:20150809205723p:plain

このようにwomenとmenの選択肢しか存在しない(恐らくgenderとしてFemaleを選択すればmenとwomenの順は逆になる).
これは,異性愛者,同性愛者,両性愛者は選択可能であるが,無性愛者(他者に対し性的欲求を持たない)や全性愛者(性別に依らない)はどうしようもない.

Facebookにおける恋愛関係

英語ではrelatinshipと書かれる.
relationshipには

a loving and/or sexual friendship between two people

という意味がある*3.要するに恋愛関係や性的関係を示すものである.

Facebookにおいてはどうなっているのであろうか,英語と日本語のものを併記したい.

f:id:spark6251:20150809210152p:plain

種類に関しては大体問題がないと思う.civil unionやopen relationshipなどの関係も広く扱っている.
しかし問題なのは日本語である.
翻訳におおよその問題はないが「open relationship→オープンな関係」,「complicated→複雑な関係」は非常に問題である.特に前者は許されるものではない.
本来open relationshipとはポリアモリー(例えば恋人を1人に限定しない.なおかつそれが秘匿でない)に近い性質を示す.しかしこれをオープンな関係と訳すのは,誤解を招く危険性を大いに孕んでいる.
確かにポリアモリー的には,恋人が二人いたとして,それぞれの恋人にそれを秘密にしないという意味では開いている.だからといってオープンな関係はいくらなんでも意味が不明すぎるし,間違った想像をする人間も多くないと思われる.
無理矢理和訳することの弊害がはっきりと出てしまっていた.何故civil unionやdomestic partnershipはカタカナに直しただけなのに,無駄に意味を付加しようとしたのか.甚だ以って意味も意図も不明である(例えばインターネットとかクレジットカードを無理矢理日本語の言葉で表そうとすれば煩雑になるのが目に見えて分かるだろう).
英語→カタカナは言語こそ異なるが,日本国で一般に用いるにあたって最も原義を損なわない表記である.それを全てに適用させないのは論外である.

おわりに

Facebookにおける性は未だ仕様として理解し難いのが現状である.
また日本語の場合は論外である.

本筋から外れるが,やはり製作者の母語の言語でinterfaceを表示するのが一番賢明なのである.

おまけ:ISO 5218

実は性別はISO 5218として国際規格が規定されている.
ISO 5218は言語に依らない人間の性別の表現でありそれは

  • 0
    • not known
  • 1
    • male
  • 2
    • female
  • 9
    • not applicable

である.

おまけ:虹色アイコン

記事をひとつ引用する.

米連邦最高裁が6月26日、同性婚憲法上の権利だと認める判決を出し、全米で同性婚が容認されることになったことを歓迎し、米Facebookと米TwitterがそれぞれLGBTの尊厳を象徴する虹色の旗をイメージした新機能をリリースした。

www.itmedia.co.jp

元記事が削除される可能性を考慮して一部引用した.
このような機能をFacebookは公開し,また更には意向を示したものと思うのだが,genderの選択に関しては上記の通りであった.

2016/06/12:日本語の修正

TeX環境

はじめに

軽いまとめとして自信のTeX環境のまとめをしたかった.適宜追加はしたい.
最新版は

spark6251.hatenablog.com

2016/12/02追記.

使用しているパッケージ

大体CTANに落ちているものだと思うが,構築が結構前なものもあるので怪しい.

\documentclass[12pt,a4paper,uplatex]{jsarticle}
\usepackage[dvipdfmx]{graphicx}
\usepackage{ascmac}
\usepackage{amssymb}
\usepackage{amsmath}
\usepackage[thmmarks]{ntheorem}
\usepackage{lscape}
\usepackage{enumitem}
\usepackage{cite}
\usepackage{float}
\usepackage{comment}
\usepackage{multicol}
\usepackage{mathptmx}
\usepackage[left=20truemm,right=20truemm,top=25truemm,bottom=25truemm]{geometry}

まずはこれらを1つ1つ説明していく.

CTAN: Package graphicx

画像ファイルを扱う.

ascmac

複数行で枠を囲む.

amssymb

数学で使う文字を整える.
例えば

$\textbb{R},\mathfrak{m}$

でそれぞれ白抜きのR,ドイツ文字のmになる.

CTAN: Package amsmath

数学環境を整える.
正直言って何が入っているのかは知らないけど\begin{align*}\end{align*}などはこれがないと使えない.

CTAN: Package ntheorem

定理環境.
要するにDef 1.xとか定理2.x.yとかそういうの.筆者の環境では

\theorembodyfont{\normalfont}
\theoremstyle{break}
\newtheorem{Def}{Def}[subsection]
\theoremstyle{break}
\newtheorem{thm}{Thm}[subsection]
\theoremstyle{break}
\newtheorem{lem}{Lem}[subsection]
\theoremstyle{nonumberplain}
\theoremsymbol{\ensuremath{\blacksquare}}
\newtheorem{pf}{pf}
\theoremstyle{break}
\newtheorem{eg}{e.g.}[subsection]
\theoremstyle{nonumberplain}
\newtheorem{sign}{目標}

になっている.
どうも\theoremstyleを複数適用できなさそうで,例えば証明は「番号付け無し」且つ「まず改行」させたいのだけれど,どちらかしかできなさそう.
両方applyするにはどうしたらいいんだろう.
[thmmarks]の記述がなければ,定理環境において記号の使用ができない.
また\theorembodyfont{\normalfont}の指定がなければ以降でアルファベットが勝手にイタリックになるよう.
……そういえばfactがないな.

CTAN: Package lscape

横置きを設定できる.

CTAN: Package enumitem

リストを色々いじれる.
ググれば色々触り方は出てくる.

CTAN: Package cite

参考文献とかで使うやつ.

CTAN: Package float

キャプションの設定とか色々.

CTAN: Package comment

複数行コメントが使える.

\begin{comment}
複数行
複数
\end{comment}

CTAN: Package multicol

2段組とかできる.

CTAN: Package mathptmx

数式のフォントをTimesに変更するらしい.
花文字をより花文字っぽくする目的で使用した.

CTAN: Package geometry

余白の設定.筆者は

\usepackage[left=20truemm,right=20truemm,top=25truemm,bottom=25truemm]{geometry}

である.長さ指定にはtrueが必須である.

ページ先頭のセクションの上の余白をなくす.

\makeatletter
\def\@startsection#1#2#3#4#5#6{%
\if@noskipsec \leavevmode \fi
\par
\@tempskipa #4\relax
\@afterindenttrue
\ifdim \@tempskipa <\z@
\@tempskipa -\@tempskipa \@afterindentfalse
\fi
\if@nobreak
\everypar{}%
\else
\addpenalty\@secpenalty\addvspace\@tempskipa
\fi
\@ifstar
{\@ssect{#3}{#4}{#5}{#6}}%
{\@dblarg{\@sect{#1}{#2}{#3}{#4}{#5}{#6}}}}

コピーをしたので実際どういう動作をしているのかは知らない.

キャプションをゴシックにする

\makeatletter
\long\def\@makecaption#1#2{\sf
\vskip\abovecaptionskip
\iftdir\sbox\@tempboxa{#1\hskip1zw#2}
\else\sbox\@tempboxa{#1~ #2}
\fi
\ifdim \wd\@tempboxa >\hsize
\iftdir #1\hskip1zw#2\relax\par
\else #1~ #2\relax\par\fi
\else
\global \@minipagefalse
\hbox to\hsize{\hfil\box\@tempboxa\hfil}
\fi
\vskip\belowcaptionskip}
\makeatother

同上.

コマンドの定義

\newcommand{\Forall}[1]{{\forall}\hiderel{#1}\mathrm{\colon\;}}
\newcommand{\Exists}[1]{{\exists}\hiderel{#1}\mathrm{\colon\;}}
\newcommand{\openr}[1]{\left[#1\right)}
\newcommand{\openl}[1]{\left(#1\right]}
\newcommand{\open}[1]{\left(#1\right)}
\newcommand{\opencb}[1]{\left\{#1\right\}}
\newcommand{\desceq}[1]{\underset{\text{\fbox{\tiny #1}}}{=}}
\newcommand{\Lra}{\Leftrightarrow}
\newcommand{\DEF}{\underset{\textrm{Def}}{\Leftrightarrow}}
\newcommand{\IFF}{\underset{\textrm{iff}}{\Leftrightarrow}}
\def\MARU#1{\textcircled{\scriptsize #1}}
\newcommand{\ub}{\underbrace}
\newcommand{\tr}{\textrm}
\newcommand{\mb}{\mathbb}
\newcommand{\rd}{\mb{R}^\tr{d}}
\newcommand{\doub}[1]{\begin{equation*}
    \left\{
    \begin{aligned}
        #1
    \end{aligned}
    \right.
\end{equation*}
}

もうちょっと色々追加していきたい.

おわりに

意外とそんなに多くなかった.

日本の数学教育の変遷

はじめに

二階線型斉次微分方程式ぐらいは高校の範囲でいいと思うんスよ(選民思想).

Motivation

「昔は高校で群論の講義があった」なる噂を聞いた(恐らく半年ぐらい前のことだ).これがひとつ.
ちなみに群とは,数の集合に,結合法則単位元・逆元を備えた二項演算が一つあるもののことで,例えば「整数・加算」などの組を群と言う*1

大学図書館で1976年(昭和51年)初版発刊「例題が教える群論入門」を借りたのだが「序にかえて」曰く:

われわれは小学校時代に,1+1は2である:

1+1=2

と教わってきた.<中略>

しかし,中学生にもなると,1+1は0にもなる:

1+1=0

という.

とあった.<中略>は筆者による.また原文に於いて数式はセンタリングされている.

過去の高校数学教育に於いて群論が実施されていたのか,中学数学教育に於いて標数0*2でない数理体系*3を扱っていたのかを確認することが本記事のMotivationである.

Remark

学習指導要領は基本的に元号のみで記されているが,本記事では年号を表す際は一貫して西暦と元号を併記した.
また学習指導要領は学習指導要領データベースインデックスを参照した.

本記事では中学及び高校教育に於ける数学教育にのみ着目する.そのためそれ以外の科目に関しては一切言及しない.
そのため以下において学習指導要領と言う時は「学習指導要領において算数・数学に関する部分」を指すものとする.

また筆者は高専出身のため高校の知識が全くないことに注意されたい.

学習指導要領の改訂の変遷

表に学習指導要領の変遷を記す.初の公布及び改訂された場合にoを記した.
学習指導要領は1947年(昭和22年)公布の学校教育法に則っており,同年に初めて施行された*4
また学校教育法においては義務教育は9年とされている.

西暦 元号 小学 中学 高校
1947年 昭和22年 o o o
1948年 昭和23年 o o
1951年 昭和26年 o o o
1956年 昭和31年 o
1957年 昭和32年 o
1958年 昭和33年 o o o
1960年 昭和35年 o
1968年 昭和43年 o
1969年 昭和44年 o
1970年 昭和45年 o
1977年 昭和52年 o o
1978年 昭和53年 o
1989年 平成元年 o o o
1998年 平成10年 o o o
2003年 平成15年 o o
2006年 平成18年 o
2007年 平成19年 o o
2008年 平成20年 o

ここでの年号は全て参照したURLと同様にした.
1947年(昭和22年)に,高等学校に関して制定が成されていると思うのだが見つからなかった.
また2011年(平成23年)にも学習指導要領の改訂があった.行列が消えた忌まわしき改訂である.それについては文科省のページを参照されたい.
また2018年(平成30年)にも改訂が成される.

小学校の学習指導要領

さて本記事のMotivationは,過去の学習指導要領において「中学生で標数0でない数理体系を扱うのか」「高校生で群論を扱うのか」であったが,小学校の学習指導要領はどうなのかを見てみよう.

今現在(2015年(平成27年))というのは過去最も数学を教育されない世代であろう.
高校の学習指導要領から行列が消える始末,誠に不可解であるが,まあ,その,なんだ,文科省は馬鹿の集まりなので仕方のないことかもしれない.とっと潰れた方が学徒の身のためになる.ついでに財務省も潰れてくれると良い.
ところで小学校の学習指導要領は昔からあまり変わっていない*5
おおよそ,分数の乗除,簡単な図形等の測定,比の理解などが小学6年生で学ぶ内容である.
唯やはり若干ながら量は減っており,1951年(昭和26年)の物を見ると:

1.具体的な経験をとおして,銀行や郵便局に,おかねを預けたり,ひき出したりする手続きを知らせる。

2.実際の場において,前期からの繰越を含んだ収支決算をする能力を伸ばす。

3.次の用語を知らせ,それを実際の場において,正しく使えるようにする。

請求書       領収書

貯金申込書   預金申込書   払出書

などとあり,実務の部分で今ではやらぬことを多くやっていたことが分かる.
事実筆者が小学6年生の時(2006年(平成18年))にはこのようなことをやった記憶はない.勿論算数以外の科目でもだ.
唯この辺りの事情は高校・大学進学率と相関があると考える.
進学率が低かった当時は家業の手伝いが多かったのだろうか?

西暦 元号 通信制を除く高等学校進学率 過年度高卒者を含む大学(学部)進学率
1951年 昭和26年 42.5% ----
1954年 昭和29年 50.9% 7.9%*6
1964年 昭和39年 69.3% 15.5%*7
1974年 昭和49年 90.8% 25.1%*8
2014年 平成26年 96.5%*9 51.5%*10

なおデータは学校基本調査を参照した.

学習指導要領の中身

以下の学習指導要領は学習指導要領 - Wikipediaを参考にし,年号を若干改めた.
2011年(平成23年)に関して,文部科学省のページのリンクを貼ったので,改訂され次第次のものに入れ替わる可能性がある(それを考慮してURLに年月日が含まれるものを記した).
表において基本的には中学3年生ないしは高校3年生で学ぶ内容の概略を記す.
但し一部は前後の対比をわかりやすくするため1年次から3年次のものを記した.

但し以下のものは大雑把なもので,正確な情報は,西暦に学習指導要領へのリンクを貼ったのでそれを参照されたい.

中学校学習指導要領

1971年(昭和46年)は濃密に濃密にやり過ぎた結果,全てを消化出来ていなかったようだ(学習指導要領 - Wikipedia参照).

西暦 元号 学習内容
1947年 昭和22年 関数(二乗に比例・反比例),統計,図形,力*11
歩合・利息・資本・公債・株式
1951年 昭和26年 比較,1次関数,グラフ,三次元の図形(回転体,投影図等),
三平方の定理,三角比,手形・小切手・税
1956年 昭和31年 高等学校のみ改訂
1961年 昭和36年 平方根の乗除,2次方程式,三角比,三平方の定理
1971年 昭和46年 1年:集合・論理(外延的記法,内包的記法,補集合,空集合,定義)
2年:代数的構造(閉じている,交換・結合・分配法則,単位元・逆元,
整数集合が離散的・有理数集合が稠密,剰余系)
集合・論理(論証,命題の真偽,定理,仮定,証明)
3年:無理数,実数,二次関数,定義域,地域,確率・統計,
集合・論理(背理法
1980年 昭和55年 1年:整数,一次方程式,近似,グラフ,空間図形,π
2年:一次不等式,図形の平行移動,確率・統計(平均値,度数分布ぐらい)
3年:二次方程式,集合,定義域,値域,統計(母集団,標本)
1992年 平成4年 1980年(昭和55年)とほぼ同様
2002年 平成14年 1年:整数,一次方程式,グラフ,空間図形,π
2年:一次不等式,図形の平行移動,確率
3年:二次方程式,図形,二次関数
2011年 平成23年 2002年(平成14年)の3年次にコンピュータを用いたものを追加

1947年(昭和22年)に関して,「数学的に形の美を理解することかできるかどうか。」(原文ママ)とあった.
1951年(昭和26年)に関して,「形の美しさや有用性」(原文ママ)とあった.
1971年(昭和46年)に関して,「生徒によっては,集合{a+b√2|a,bは有理数}」(原文ママ)とあった.
1980年(昭和55年)に関して,ぬるすぎて書く気をなくした.ゆとりの始まり.
2002年(平成14年)に関して,1980年(昭和55年)から統計と集合・論理をなくした感じ.いわゆるゆとり教育
2011年(平生23年)に関して,「コンピュータを用いたりするなどして,母集団から標本を取り出し,標本の傾向を調べることで,母集団の傾向が読み取れることを理解できるようにする。」(原文ママ)とあった.

三平方の定理はどの学習指導要領にも書かれていたと思う.

高等学校学習指導要領

西暦 元号 学習内容
1947年 昭和22年
1951年*12 昭和26年 確率(順列,標準偏差大数の法則),数列,指数関数・対数関数,
極限,微分積分,加法定理,公理,楕円,放物線,サイクロイド
1956年*13 昭和31年 数列・級数微分(二階微分),積分(台形公式)
順列・組み合わせ,確率・統計(大数の法則,抽出)
複素平面対数関数の微分対数関数の積分
1961年*14 昭和36年 微分(第二次導関数),積分(置換積分,部分積分),微分方程式*15
確率・統計(抽出・推定・検定)
複素平面,複利計算,数列・級数,Maclaurin展開
行列式,画法幾何,球面三角法,ラプラス変換*16
1971年 昭和46年 数学一般:電子計算機と流れ図
数学I:複素数,楕円,指数関数・対数関数,直積
数学IIA:行列,微分積分,確率・統計,電子計算機と流れ図
数学IIB:公理,ベクトル,行列,微分積分
数学III:数列の極限,微分(指数関数とか諸々),積分
微分方程式,確率・統計(推定,検定)
応用数学:OR
1980年*17 昭和55年 数学I:実数,二次不等式,複素数,二次関数,三角比,円
数学II:順列・組合せ,ベクトル,微分積分,数列,
指数関数・対数関数,三角関数,電子計算機と流れ図
代数・幾何:放物線,楕円,ベクトル,行列,空間図形
基礎解析:数列,指数関数・対数関数・三角関数微分の意味
微分積分:極限,微分(指数関数,接線),
積分(体積,道のり),微分方程式
確率・統計:分散,順列,確率,確率分布,推定,検定
1992年*18 平成4年 数学III:極限,微分三角関数とか),積分(面積,体積,道のり)
数学C:行列,楕円,双曲線,極座標,数値積分,統計(推定・検定)
2002年 平成14年 1992年(平成4年)とほぼ同様
2011年 平成23年 数III:複素平面極座標,極限,微分三角関数等),積分(体積等)
数学活用:数学と人間,ゲームやパズルと数学,社会と数学,データ分析

1951年(昭和26年)に関して,帰謬法の文字が見られた.
2002年(平生14年)に関して,数値積分という文字は見られなかったが,コンピュータを用いた近似値の計算は行っているので,数値積分を扱っているものとして考えた.

Motivationの確認

本記事のMotivationは2つあった.
「中学数学で標数0でない数理体系を扱っていた時期が存在したか」は1971年(昭和46年)の学習指導要領に関してYes(中学2年生の剰余系がそれに当たる).
「高校数学で群論を扱っていた時期が存在したか」は1971年(昭和46年)の中学校学習指導要領に関してProbably(中学2年生の代数的構造(閉じている,交換・結合・分配法則,単位元・逆元)がそれに当たる).

これらは無事確認された.

おわりに

勿論,量が多い即ち優れた学生が量産される,というわけではない.
実際,最も量が多かった1971年(昭和46年)の学習指導要領は教師の力不足(恐らく時間不足の方が強いが)等もあり結局網羅されないことが多かった.
が,現状の中学校及び高等学校における数学教育の内容の薄さは度し難い.
今,2011年(平成23年)の学習指導要領の被害を受けた学生が大学に進学している.
結果,大学の講義において,以前までは高校で履修していたため省略していたところを説明する事態に陥っている.
この責は学習指導要領を改訂する文部科学省にあるものであり,この改訂を支持した人間は,何を言わんや,全て腹を切って償うべきである.

ちなみに「はじめに」で記したことは勿論冗談であって,1992年(平成4年)程度の分量が程良いというのが所感である.
また高校で学ぶ程度の数学(勿論それ以外の科目もだ)は一般常識と思いたいが,得手不得手はある.
苦手な科目の理解が3割程度とすると,数IAぐらいの知識は完備が妥当なものだろうか……まあ苦手な人間は更にそれが3割とかなので,ああ,1割の理解だ.

おまけ

群の公理

空でない集合 G 上に二項演算 \cdot が定義され以下を満たす時,組 (G,\cdot) を群と言う.

  1.  \forall a, b, c \in G, (a\cdot b)\cdot c=a\cdot (b\cdot c)
  2.  \exists e \in G, \forall a \in G, a\cdot e=e\cdot a=a
  3.  \forall a \in G, \exists a^{-1}\in G, a\cdot a^{-1}=a^{-1}\cdot a=e

例えば (\mathbb{R}^{\times}, \times)  (\mathbb{Z}, +) は群である.

剰余群

剰余系は恐らく剰余群を指している.例えば剰余群 \mathbb{Z}/n\mathbb{Z} で加算を以下のように定義する.
 0+1=1,1+1=2,2+1=3,\cdots,(n-1)+1=0
この時 \mathbb{Z}/2\mathbb{Z} を考えると
 0+1=1,1+1=0
となり,Motivationで引用した数理体系となる.

*1:非常に怪しい説明なので本記事の最後に公理を示した.

*2:乗法単位元(つまり1)を何度加算しても0にならない

*3:正確には代数的構造と言うが,代数を知らない人間にはこのような言い方の方が分かりやすいかと思った

*4:1953年(昭和28年)のものまでは名称が異なっているがそこには触れない

*5:確認したのは1951年(昭和26年)のものと2002年(平成14年)のもののみである.

*6:男子13.3%,女子2.4%

*7:男子25.6%,女子5.1%

*8:男子38.1%,女子11.6%

*9:通信制を含めれば98.4%

*10:男子55.9%,女子47.0%

*11:物理的な意味合いでの力と思われる

*12:科目が一般数学,解析I,解析II,幾何とあったので解析IIと幾何から抜粋した

*13:科目が数学I,数学II数学III応用数学とあったので数学III応用数学から抜粋した

*14:科目が数学I,数学IIA,数学IIB,数学III応用数学とあったので数学III応用数学から抜粋した

*15:axy''+bxy'+cy=0程度とある

*16:但し「学科によっては」という注釈がある

*17:数学Iは第1学年,微分積分を除くそれ以外は数学Iの後,微分積分は基礎解析の後.

*18:いわゆる数IA,数IIB,数IIIC